豊田市美術館で企画された、川俣正プロジェクト:2000年2004年参加。
豊田市美術館で川俣正トークを聞く。作家を知るにはプロジェクトに参加しなくては意味がないと思い、夏休みは全て川俣正ボランテイアに参加する。真夏の炎天下での作業は、汗ダクダクの連続、土堀、杭打ち、竹材や板、横木の切断や釘打ちを行う。これらの作業はお得意であった!学生時代に5mx2mの「金鶏」の鳥小屋を一人で作ったからだ。これは大きな庭を巻き込んでの、金網製のミニハウスである。 川俣正の路上の小屋造りを、すでに学生時代に一人で制作したのだった。
川俣正の世界をプロセスを知るために、このプロジェクトに参加する。ART WATCHERも大変だ
越後妻有松之山 川俣正作品
2004年の物見台制作現場・豊田市美術館
豊田市美術館2000年川俣プロジェクトで最初に制作されたテーブルとベンチ。終了後も、桜の季節に集合してバーベキューを何回か楽しんだ。
新潟越後妻有「大地の芸術祭」
川俣 正 松之山プロジェクト:遊歩道や「はさ」が会場の道案内となっている。2000年9月、2003年9月、2006年9月に現地の松之山を訪れる。
写真は2000年の風景。私はこの風景を全国に展開したいと想い、現在も「企画の予算計上」を探し求めている。そして 「企画申請」を行っている。2008年
2008年4月12日
2009年7月7日に物見台に訪れる
2008年3月16日 東京都現代美術館
川俣 正「通路」のビア・ラボに立ち寄る。
この日は、東京のArt Sceneを3ヶ所観て、少し疲れ気味。ビールに出会った安堵の表情が45歳?の顔にでる。
左から、セルフポートラボの蓮沼さん木村さんビアラボの児玉さんと左後方長坂さん、右はアーカイブの加藤さん、図書館の高宮さん、中央の私が皆さんにビールを勧める。ビアラボの方は勧められないと飲めないシステム。私はこのビアラボに訪れたのは6回目。
2008年3月16日と4月13日
川俣正「通路」のラボとアーカイブが幾つかあって、全国で展開する「川俣プロジェクト」が覗き観られる趣向。
これらを観るより通路のラボへの「寄り道」がお勧めです。
制作模型を観ても川俣の世界は見れない。
川俣正 『通路』 のアーカイブ担当 林さんと加藤淳さんの場所に立ち寄る。
川俣正プロジェクトIN豊田の説明を受ける
3月16日 『通路』 のトーク
布施英利 「解剖と自画像」の講演を受ける
豊田市美術館からの遠望
美術展でビールが飲めるのは初めてだーと「通路」の川俣正さんが言う。チョットまて・・・!2002年に「朝まで語ろうアートシーン」を企画進行した私は、右手に缶ビールを握っていた。そして朝まで進行する
。パネラーは公立美術館の主任学芸員7名だった。
in 名古屋・大須
2008年3月7日と4月6日
私の企画する「通路」では、ベニア板製の 「通行証」を10万枚造ろうと考えている。
3月16日 『通路』 のトーク
布施英利 「解剖と自画像」の講演を受ける。セルフポートラボでは自画像を3点描く。
このビアラボでは川俣トークがいくつも行われていた。上は、ビアラボにおけるボランティアのパフォーマンス。
蓮沼さんと蓮沼自画像のマッピング
セルフポートレートラボで自画像を5点描く
川俣正『ON THE WAY』がお勧めです。
川俣正のアートシーンが見られます。
2010年6月13日に物見台に訪れる
2010年6月26日に物見台に訪れる
2010年6月26日に物見台に訪れる
photo by : R,Nakata
川俣プロジェクトの中でベンチ造りや物見台つくりに参加し、多くのボランテイアの方とコミニケーションとミーテイングを繰り返していく。ここで川俣正の大きな存在感を感じる。2000年
その後、川俣正プロジェクトの「通路」を国内の幾つかの場所で展開させる決断をする。「国際芸術フェステイバル2005」の企画に盛り込んだ。が、川俣さんの忙しさと、協議会の実行予算の乏しさで叶えられなかった。2005年
川俣正は、アートの道案内人
下の図は ハンミョウ と言い道案内をします。
東京都現代美術館にて、2月9日から4月13日まで
『川俣正 通路』 が開催される。2008年
川俣正は通路だった(ハンミョウ)
1978-2008年まで30年間にわたる彼の足跡を辿ると、それは日常とアートを結びつける継続的な試み、つまり(通路)に他ならなかった。