岸田劉生は、自画像を描くときメガネを外すことが多い、これは問題ではない。神様と言われた劉生は、自己を主張する際に自画像を描いた。と言うより「人物画」ばかり描いた時期があった。「麗子像」がそれを物語っている。私は一番好きな劉生の作品は「切り通し」(国宝)である。大地と空を描いた「傑作」。劉生が自画像の背景を明るくしたのは、順風な環境であったからと思う。
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多くの作家が自画像を残している事を知る。30年も描き続けた筧 忠治さんが名古屋にいた事が大きい。彼は1枚の「母親像」を10年費やして描いた事を知り感動する。 その時、池俣武生は、「自画像のポーズ」に執心し、誰も表現しない「1枚の自画像」を描くことだった。髭を誇示し筆を持つ右手を顎に当てて描いた。医療の中の仕事の後に職場の近くで描いた心象から背景が暗い。先輩ばかりの職場からの逃避だったかも知れない。 沢山の作家の自画像を観ながら 私は、長いながーい間、岸田劉生とファン・ゴッホの中間に置くことが出来る自画像を探していた。けれども見つけることは出来なかった。最近のArt Sceneでは不可能と言える。それは、この中央に置くと言う「狂気な熱気」をもつ絵描きがいないから・・
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ファン・ゴッホは、右の耳を切り落として描いた。友人ゴーギャンを用意したアトリエに迎えられなかったことだけが原因とは思えない。弟テオとの書簡集を読めばその謎が解明できる。背景を赤にした心境からも狂気な状態であったことが推測できる。炎の作家ゴッホの生存中作品が1枚も売れなかったのはなぜ!切り落とした耳は右だったのでしょうか?
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